だきらぼ

だっきーがお送りする考え方と思考の場

大学という居場所

どうもだっきーです。

 

このページに飛んでくれてありがとう!

 

ここでは...

  • 「大学」がどういう場所なのか
  • 強制でもないのに大学に入る人が一定数いるのはどうしてなのか
 
という問題を着目してみたいと思います。(まとめに考察しています)
 

色んな学生が大学というものに対して過大に評価し、高校から進学してきました。しかし、学問への探求は簡単なものではなく、高校までのように「いい子に座っている」だけでは何も解決しない...というのが大学という場所の特色です。

 

少し前であれば「いい大学にはいれば就職先も安定し上場企業に入社することも夢ではない」といわれてきました。そのため、高校生は必死に詰め込んだ知識をかき集め、いい大学へと進んでいったという過去の話があります。(今でもそう信じている人もいますが...)

 

そのような背景がありながらも、進学してきた大学生たちはどのように感じ大学生活を謳歌しているのでしょうか。それでは、一緒に考えてみましょう!

 

 

大学は居場所か

最初の議題点は、大学は「居場所」なのかということです。

 

学問を探求する場所であって、「居場所」ではないと私は感じています。

 

居場所というのは、抵抗なく居続けられる場所であること居心地の良さを感じる場所であると私は考えているからです。大学も経営難でエンターテインメント化されてしまったところも多いので仕方がないとは思いますが、社会に貢献できるような研究ができるスタート地点でもある場所なのでエンターテインメントにして学生を確保するのは一個人の意見としてはよくないと思っていますけど...

 

私が最近の思うのは「大学の居場所化」です。

 

学生が食堂や図書館に集団で集まり、談笑を楽しむ。

 

それだけだといいのですが、講義中に理解もできないのにスマホに夢中になったり、挙句の果てには隣の人と談笑を始めてしまう始末...

 

そういった学生の話を耳を立てて聞いていると「講義<バイト」という認識が強く、バイトまでの時間つぶしのために大学を居場所化にしてしまうのだとか。

 

大学とはどういう場所か...ということを改めて再確認する必要があるかもしれません。

 

今の学生は、せっかく高い学費を払って「繋がれる友人関係」を望んでいるという現状なのかもしれないですね。

 

 

理想的な大学の構造

理想の大学の構造とは...というと万人に合った回答を出せるわけではありませんが、私の中では2つあります。

 

1つは、「学問を探求する場所」としての大学です。社会貢献のできるスタート地点であり、知識の宝庫である場所だと考えているからです。

 

もう1つは、「学校が苦手な人でも受けられる」大学です。小中高といったクラスという「枠」に閉じ込められることの苦手で学校に行きにくかった人や対人関係がうまくいかなかった人でも、大学という「学問だけに追求」した場所であれば学びも一点とするでしょう。

 

大学の授業は最低限受けなければいけないものはありますが、自分の好き嫌いを選んで履修することができます。好きなものだけを特化して取り組んでもいいですし、満遍なく履修する人もいます。

 

また、講義を受けることは「学問の入り口であって基礎を学んでいるだけ」にすぎません。ニュースとかでも見出しを見て気に入ったものは記事を読むでしょう。それと同じように講義で気になったことは、「自分で調べて、理解を深めていくもんだ」と私は考えています。

 

 

大学生に利用してほしい大学

せっかく高い学費を出して、学業をいそしむために通っているのであれば学費分ぐらいは元を取れるぐらいのことをしなければ損した気分になります。

 

今から挙げるのは一例ですが、どの学校にもできることだと思って書いてあります。ぜひ活用してくださいね。

 

  • 図書館の利用

図書館の本は専門性の高い本がたくさん並んでいて読むのは嫌だな...と思う人もいるかと思いますが、自分で買うよりも無料で借りられるのでこれだけで年間の学費分はトクできるかと思います。

 

  • 食堂

食堂のご飯は、コンビニ弁当より量も多く、安く、栄養バランスもとれているので弁当を作る時間がない方にとってはオススメです。

 

  •  ライティングセンターに活用

大学のレポートや履歴書の添削などを行っている場所で社会人が受けるとなるとそれなりとお金がかかるので無料で身に着けられるのであれば、文章の書き方を身に着けることができるかもしれませんよ!

 

まとめ

さっそく、整理していきたいと思います。

 

「大学」がどういう場所なのか

大学はあくまで研究機関であり、エンターテインメントではない。

 

しかし、経営を維持できない大学が増えてきたため、学生のニーズに合った形へと変化しなければいけなくなった。そのため、学生にとっての居場所になり始めた。

 

大学の質が落ちると、社会的貢献のできる研究者の数も減っていくため、社会の歯車が思った以上に回らなくなってきた。社会への人材としての大学生の質も低下してきた。「国」レベルの問題ではないのだろうか。

 

 

強制でもないのに大学に入る人が一定数いるのはどうしてなのか

何の目的もなく、大学生になる人は一定数います。

 

それは、親世代の人たちが大学から会社に入ることで「いい職」に就けられるという体験をしているからです。終身雇用が崩壊しようとしている今では、大学を出ているだけでは「いい職」に入れるかはわからない。

 

なぜ、大学を出ることで「いい職」に入れるかというと、昔の大学は学問としての大学であったため、今よりも狭き門であり、社会的貢献を満たせる人が「いい職」につけたのである。(もちろん、いい大学に居ればおこぼれで上場企業からオファーがあったりするからでもあるが...)

 

今では、そんなことが起こりにくい。大学が疲弊して客寄せとしてエンターテインメント化してしまったからだ。大学の衰退であると私は考えている。

 

しかし、研究意欲のない大学生がたくさん入ってきたところで、社会的貢献をすることは難しいだろう。学生はそれでもよくわからない期待をし、家庭的財産も沢山ないのに奨学金を借りて大学に進学する。

 

大学が奨学金を渡すのは「貧困でも大学で社会的貢献ができるという期待を込めているから」であって、社会的貢献ができない人にとっては就職後も奨学金を返せず困るのです。制度がなければ「万人が入れる大学」にならないので使う人は気を付けるべきだと思います。

 

大学で何か身につくだろう、高校の延長線だろう、と考えている学生にとっては、大学に搾取されて、得られるものがなく卒業してしまうのかなと考えられます。「就職のとき有利」という時代は最初からなかったのです。

 

総括

大学に入ることは簡単でも出ることが難しい...という言葉をどこかで聞いたことがあります。それは、大学もお金が必要で研究熱心の学生ばかりを選べる時代ではなくなったからです。そのため、卒業するための卒論に苦戦してしまうのです。卒業研究の質を落としてしまうと卒業はできますが、社会の求めている水準に達することなく出てきてしまうため、大学生の価値が企業に見いだせなくなったのです。

 

自分の首を絞めない大学ライフを楽しんでくださいね!