だきらぼ

だっきーがお送りする考え方と思考の場

ストレスがない社会では生きられない人間という生物

どうもだっきーです。

 

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皆さんは、イライラするな~と思ったことはありますでしょうか?

 

いきなりの質問で戸惑うかもしれませんが、この記事を読むことで「イライラする」という現象について何かしらの手掛かりを得ることができるかもしれません。

 

とはいうのも、タイトルで書いてあるようにストレスがない社会で生きられない生き物が人間であるからです。ストレスの中に「イライラする」という現象が含まれます。

 

でも...ほんとうにそうなのでしょうか......?

 

イライラなんてしたくはないし、喧嘩や悩みなんてなければ世の中が幸せなのでは...と一度や二度考えるものです。確かに、喧嘩や悩みがなくなれば一時的な幸せが起きるかと思いますが、本当の幸せなのでしょうか?

 

というのも、喧嘩や悩みには背後の関係があります。喧嘩であれば、相違の意見の違いやからかいといったことから起こります。悩みは、相手の評価を意識することや想定外の出来事が起きることで出てくるものです。

 

背後の関係を知らずに、「喧嘩は物騒だからやめた方がいい」「悩みなんて相談したら軽くなるよ」なんて言えたものではありませんね。しかし、これでは問題解決ではなく、都合のいい言い訳を考えているみたいです。私が伝えたいことではないし、伝えるべき内容でもないなと、思います。

 

とても簡単に言うと、喧嘩や悩みが出てくるのは比較対象者がいるからです。幸せは誰もがつかみたいですが、幸せに感じれる枠というものがとても小さいので全員が入れるものではありません。それぞれが感じる幸せは、何かしらのモデルとなるものがあってもそこに入れる定員数には限度があるため、その部分では幸せを妥協しているのです。

 

たとえば、衣食住が用意できる生活を送ることが幸せだという人と高級マンションでリッチな生活を送ることが幸せだという人がいるとしましょう。前者の人は、生活水準さえ満たせれば幸せだと感じ、さらに言えば、少し豪華な食事が食べられた日にはとても幸せな人生を歩んでいると感じるでしょう。後者の人は、前者の人とは条件が異なりリッチな生活を満喫できなければ幸せだと感じられないようなので、幸せを維持するためにはお金持ちではなければいけないかもしれません。

 

別の考え方をとると、リスクとリターンで説明がつくかもしれません。リスクはストレスの度合いで、リターンが幸福感だとします。ローリスク‐ローリターンな生活は「イライラすることも少ないかもしれませんが、幸福感もさほど変わりありません。」

 

この考えでいくと、ローリスク‐ハイリターンの生活ができる状態ってないんじゃないの...と思われるかもしれませんが、「衣食住の最低基準で生活できる人たちの豪華な食事がとれた時」がその条件に当てはまるかと思います。逆のハイリスク‐ローリターンは「リッチな部屋は確保できたけど、仕事の量が多く議て満足できない状態」が当てはまりそうですね。

 

2つの例をあげましたが、幸せとは「理想にあるのではなく、現実の中での充実体験」ではないかと感じています。ストレスは幸せと表裏一体で、「理想上で幸せではない部分がイライラする」のではないでしょうか。

 

では、違うページで会いましょう