だきらぼ

だっきーがお送りする考え方と思考の場

僕が僕でい続けるための迷走

こんにちは、だっきーです。

 

私たちは無数の選択を連続して行っています。その行きつく先を迷走史として綴りました。

 

要約

膨大な人生の選択肢において、私たちは、常に連続として選択肢を選ばなければいけない。その選択先が遠回りになるのであるならば、人生としてはあたりを引いたものだ。その分多くの経験が得られるからだ。しかし、時には「空白」の選択肢も存在するだろう。その分岐点を選んだその日からいつ平常なルートへ戻れるかわからないその未知なる選択肢を選んでしまうことも人生なのだ。

 

 

そう、人生とは膨大な分岐点が用意されているが、長い年月から見ると収束し、そして一つの線として人生が終える。これは、自分が見る人生を選ぶことを考えるのと、相手が自分の人生を楽観してみていることで見え方が変わるし、「経験」や「度胸」というものも影響してくるものだ。

 

だからこそ、その時に選んだ道が正解とも不正解とも言えずに分岐しては収束する。枝に絡まるツタのごとく強制力のある戻し方もすれば、自然と今自分が踏んでいる道に落ち着きを感じ、そこを正規ルートとして歩み始めれば、やはり線は右往左往しようが1本だけである。

 

だからこそ、選択肢というのは無意識に私たちは選び、だけども必要な場面では意識的に選んでいるものなんだ。わかりやすく言うと、志望大学は意識的に選ぶけど、志望大学を決めた場所は、家のベットの上でも、教室でも、図書館でも何でもよかったのだ。その場に何かしらの決め手となる思考が収束し、そこに決定というものが生まれたんだ。

 

選択肢には「経験」や「度胸」というものも少しばかり影響することをちらっと言ったのでその説明をしようと思う。経験は過去に似た出来事があったのかどうかを類推し、度胸は現在の自分の力量以上への挑戦をすることだ。選択するというのは、情報戦であり、過去に類似した体験があれば同じような選択をして無難なやりとりをすべきだし、前回と今回が異なる(自分の能力を信じて)場合は挑戦することを選択するのだろう。

 

「空白」という選択肢も現実では存在し、ゲームでいうバグが発生することもある。今まで平常な運転を行い、日常を楽しんでいたとしても気がついたら「空白」に存在するということもあるだろう。日常とは異なる非日常だけども他人から見れば「日常」にいるのだ。

 

空白も時を過ぎ達観した視点で見れば、やはり収束し、1本の人生なのだけども、現実の拡大している私にはやはり非現実なのだろう。もちろん空白の中にも選択肢が存在するが、正規のルートなのかわからない私には「経験」や「度胸」というものが足りなかった。

 

空白の中で適切な処置ができれば、それはそれと道が開かれただろうが、私が選んだのは選択肢を戻ることにしたんだ。戻ることも大切だが、人生は有限で時には戻ることもできない。空白を味わうことができたのもこの人生において有意義だったのだろうな。とふと我に戻ったのであった。

 

 

この文章をふと思ったのは、つい30分前で、私の中に残る苦虫のような思い出が圧縮して出てきたからなのかなと思った。人生100年世代といい、医学の進歩から私たちは、長く生きれるようになってしまった。むしろ、長く生きることで若者が職に就けないなどの問題が出てき、挙句の果てには、生きることを原始的に考えなけねばならないのでは..と思いつつもある。そんな日本だ。

 

確かに、食べ物には困らないが(作りすぎている)、教育や福祉、政治といった大人たちが解決しなければいけないことを放棄しているのが現状なのだろう。かといって、大人たちは自分と関係ない(教育)ことに手を付けず、次世代への教育を忘れている。こうやって書き続ける私もいずれ、そのような大人になっていくのだろうと思うと悲しく思う。だから、空白の選択肢を選び、生きづまった世の中を達観してみることをしたのだろう。

 

若者ももちろん、世の中を変える権利は存在するし、政界の人間が率先して次世代への教育をしていくことで循環器のごとく世の中は回り始めるだろうに。

 

ふと文章を書き続けるとすっきりとしましたとさ。

最近よく聞く発達障がいって何を指すの

どうも、だっきーです
冬が近づいてきましたね。風邪に気を付けてくださいね

 

ここ5年ぐらいで「発達障がい」への関心が世間一般に広がりつつあるな..と思いつつあります。
そんな感じしませんか?


例えば、Twitterとかでも「わたし、ASD自閉症スペクトラム)で..」とか「ADHD(注意欠如多動症)なので..」というものを自分の自己紹介の一部に入れる人もいるぐらいです。でも、そんなことをSNSに更新したところで何の解決にもならず..

 

“そういう人(発達障がい)なのね”

 

と、見られるだけだというのも事実なのです。むしろ、アピールがマイナスイメージを植え付けてしまい、発達障がいだと言おうと思っても言えない人が苦しんでしまう場合もあります。ある意味では発達障がいの特質がSNSで出てしまっているといえるのですが..。

 

ちなみに、発達障がいは「DSM精神障害の診断と統計マニュアル」や「ICD:国際疾病分類」にて診断されます。だから、誰もが「発達障がい」になれるかというとそういうわけではなのです。

 

よく聞く、ASDは「Autism Spectrum Disorder(自閉症スペクトラム)」で、ADHDは「Attention–deficit hyperactivity disorder(注意欠如多動症)」の頭文字で略称しています。

 

今回は、「発達障がいの人たちは何を考え、どのように苦しんでいるのか」ということを考えてみたいと思います。広く複雑な内容なのでこれ以外にもためになりそうなリンクも貼っていますのでそれを確認しながら理解を深めるといいでしょう。

 

 

【全く知らない人へ】発達障がいって?

発達障がいは「DSM」と「ICD」の二つから診断していると最初に書きました。はじめにお伝えすると、風邪のように誰もが診断される病気ではないし、うつ病統合失調症のように途中から診断されるというものではないということを知る必要があるのです。

 

政府広報オンラインという国が出している広報で発達障がいに関する情報も発信しています。最初の一文がとてもしっくり来たので太字にしたところだけでもぜひとも読んでいただきたい。

発達障害は、脳機能の発達が関係する障害です。発達障害がある人は、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手です。また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。それが、親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の障害によるものだと理解すれば、周囲の人の接し方も変わってくるのではないでしょうか。

 

少し前までは、親の教育が発達障がいを引き起こしたんだ..という議論がされていました。そのため、発達障がいの診断をされた子どもは学校でも異質に見られ、家でもできない我が子を厳しくつけられるということがあったとのことです。私たちですら、学校の成績や会社の業績で比べられるとあまりいい気分がしません。当然のことながら、発達障がいの子も人の子なので悩んだりします。

 

 

【全く知らない人へ】ASDADHDって?

そんな発達障がいでよく聞くのが「ASDADHD」の2つです。1度は聞いたことあるのではないでしょうか。なぜ、そんなに聞かれるワードなのかというと、行動面からわかりやすい障がいであるからだと考えられます。

 

ASDADHD」は、小学校のクラスで悪目立ちしてしまうことがあります。いくつか考えられそうなものを挙げてみます。ASDADHDの特徴がわかりますか。

 

例)授業中に黒板を写さなければいけない状況で目の前の虫に注意が移り、黒板を見れなくなり虫を追いかけ始める

 

例)時間ぴったりに授業が始まらないとイライラしてしまう

 

例)マルチタスクを必要とするとき、どちらか一つしか行うことができずに困る

 

これらは、一例であり、当てはまったからといってASDADHDだと決めつけてはいけません。発達障がいに近しい傾向があるかもしれません。日常に支障をきたし始めた場合は精神科医心療内科に診断してもらうのも一つの手だと言えます。

 

2つの診断基準を簡潔に説明させていただきます。

必要な部分は引用し抜粋しますので順に説明します。

 

ASDは4つの診断カテゴリーがあり、それぞれの項目に当てはまっている数で診断されます。

A:社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害

B:限定された反復する様式の行動、興味、活動

C:症状は発達早期の段階で必ず出現するが、後になって明らかになるものもある

D:症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている

 

自閉症スペクトラム(DSM-5の診断基準)を見ていただけると詳細項目を知ることもできます。大切なのは4つのカテゴリーで構成されており、幼少期から診断する際にも行動が当てはまるかを確認するものです。

 

 

ADHDは6つのカテゴリーがあり、当てはまっている個数で診断が決められます。

A1:不注意症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヵ月以上わたって持続している

A2:多動性/衝動性の症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヶ月以上にわたって持続している

B:不注意、多動性/衝動性の症状のいくつかは12歳までに存在していた。

C:不注意、多動性/衝動性の症状のいくつかは2つ以上の環境(家庭・学校・職場・社交場面など)で存在している。

D:症状が社会・学業・職業機能を損ねている明らかな証拠がある。

E:統合失調症や他の精神障害の経過で生じたのではなく、それらで説明することもできない。

 

ADHD(注意欠如・多動症)のDSM-5の診断基準を見ると項目の詳細がわかります。A1にはケアレスミスや忘れ物、A2にはしゃべりすぎや待つことの苦手といった項目も含まれます。

 

診断はこれ以外にWISC(大人はWAIS)やK式検査で能力を診断し、総合的観点から診断名をつけている場合がほとんどです(カウンセリングも行われますね)。診断について気になる方はこういう情報サイトも見ると勉強になるでしょう。

 

発達障害の診断基準とは? DSM-5から見る発達障害 : 診断・特性 - 株式会社Kaien

WISC™-IV知能検査 | 検査詳細 | 心理検査 | 日本文化科学社

 

よく聞く発達障がいとあまり聞かない発達障がい

 発達障がいは、 政府広報オンラインで発表されているように学習障害(LD)、トゥレット症候群(運動チックと音声チックの併発)、吃音という症状も発達障がいに含まれるのです。ADD(注意欠如症)も聞くようで聞かない診断名だと思います。

 

ASDADHDのように目立つことがないですが、個人レベルや少人数レベルで困ってしまう人たちなのです。教師もなかなか築くことはありませんし、そういう個性だと言ってしまえばそう聞こえなくもない診断になってしまうのです(当事者は気づかれなくつらい)。

 

少し前に広汎性発達障害(PDD)という診断名がありましたが、現在はASDのひとくくりにされています。ということはASDの中に自閉症アスペルガー症候群、レット症候群、特定不能の広汎性発達障害が診断として入っているのです。

 

 

SNSで見る発達障がいの大半って

冒頭に書いた「わたしASDで..」ということをTwitterで見かける機会が増えました。ある意味では、マイナスイメージがない言葉になったという風に捉えることもできるでしょう。それは、自分こういう人格なんだといえる場ができたのかな ..とも思います。

 

しかし、ASDの診断には軽度・中度・重度の3つのレベルに分類されます。

  • 軽度:レベル1(一定の支援が必要)
  • 中度:レベル2(多くの支援が必要)
  • 重度:レベル3(極めて強力な支援が必要)

 

上記の3つに分けられています。自閉症スペクトラムスペクトラムには軽症な特性と重症な特性が連続的にある状態だからだといわれています。そんな中でも比較的軽度のASDの方は通常学級で授業を受ける場合もありますが、特別支援級でSSTを学びながら過ごす人もいます。

 

SNS等で「わたしASDで..」というのは多くの割合で軽度のASDであると考えられます。風邪とかと異なり一度診断名を告げられるとずっと診断名は残ります。だからこそ、ASDであることをSNS上で告白し、今までに体験して苦しんだことを話せる場ができたのはよいことだと思います。

 

SNS等で「自分が発達障がいがある」という発言がで始めた背景には、有名人が発達障がいであることを発表することや歴史の偉人がアスペルガーだったという報告が相次いで出たからです。2つほどサイトを乗せますがこういう人もいるんだなぁという感じで見るのがいいでしょう。(何事も深く信じることはよくないです)

 

アスペルガー症候群を公表している有名人・芸能人一覧。エピソードまとめ | 大人女子のライフマガジンPinky[ピンキー]

 ・実はアスペルガーだった偉人 | 発達障害とは

 

ASDの中でも特に跳びぬけた能力がある人はサヴァン症候群といわれますが、先ほどのリンク先である偉人がそのような能力を持っているのかもしれませんね。

 

サヴァン症候群とは?発達障害との診断の違いは?種類や、突出した記憶力といった能力などについて解説します。 | LITALICO仕事ナビ

 

このように、最近は「」という表現をし、比較的認知度の高いASDADHDは「こういうことだったらできます」ということをSNSを媒体に発信できるようになったのではないかな..と思いました。

 

私たちはネットを通じてだったら健常かもしれない

 先ほどSNSを媒介することでASDであること、ADHDであることを告白することができるようになったと書いていきました。大きな影響は有名な芸能人が発達障がいであることをメディアにあげてくれていることが、診断を受けた人にとっては「成功する人もいるんだ」という励みになるのでしょう。

 

だけども、教育で発達障がいに関するものを義務教育期間で行われていないので、当事者に会って、初めて知り、軽蔑した目で見てしまう、ということもこの先もあり得るのが現実です。

 

だったら、教育で教えれば..と安易に思う人もいるでしょう。思春期に入り、自分のことを少しずつ獲得していく時期に、自分と周りは違うんだということを教師がクラスに伝えると、そこからいじめや登校拒否などの2次被害が起こるかもしれないからです。

 

次のようなことが考えられます。

  1. 教育で伝えられる教師の技量が求められる
  2. 教師は当事者でもないので下手に伝えることもできない
  3. 全国の教員が一定の発達障がいへの関心をもてるかの疑念

簡単に変わることもない教育ですが、当事者が増えている状況で社会が変わらないといけないのではないか、という空気が感じつつあります。どのように変わるのかは予測できませんが..

 

ASDADHDは行動面からはわかりやすいのですが、SNSではどうでしょうか。Twitterを例えにしますが、ADHD気質であれば、投稿回数が以上に多いとか、初見で興味を持った人に対等であるかのように失礼なリプを送るといったことが見られるかもしれませんね。ASDであれば、ツイートにも何かしらのこだわりがあり、同色傾向の内容で固めるということもあるでしょう。だけども、Twitterを見る人は見る時間もリプを返す時間もそれぞれ自由に返信します。

 

人と直接会わなければ、「少し変わっているのかな」と思うだけでほとんど対等にSNSを通じてコミュニケーションを取ることができるのだろうと思います。それでも、文脈が読めなくて困るということもありますが...。

 

SNSは、匿名性も確保できているので、ある意味差別的に見られることもなく対等に扱われる場でありますが、そんな中でも「自分の診断名」を公表して、セルフハンディキャッピングのようなことをしているのではないでしょうか。

 

セルフハンディキャッピングとは...

失敗の原因となる外的要因をつくりだすことで、失敗しても自己評価の低下を下げる行為。

 

徐々に、「発達障がい」の認知度が上がりつつある今だからこそ、「苦しみ」や「悩み」というものを発言し、発信することができたのではないかな..とも考えられますね。

 

 個人的なまとめ(意見)

 世間が発達障がいへの見方がより良い方向へ変わりつつある世界になりつつあります。1943年のカナーが自閉症の症例を発見してから80年が経とうとしています。その中でも自閉症に関する理解が深まり、同時に発達障がいに関する関心も増えてきたのは良いことだなぁ..と思います。

 

そんな中でも、今回はSNSを題材に考えてみました。Twitterは2006年に開発されたアプリですので、古いように感じても13年しかたっていないのです。10年とちょっと経った現在、発達障がいの当事者がSNS上に出てこれるようになったのではないでしょうか。

 

SNS上に出られるというのは「当事者の悩みの声」や「今まで浮上していなかった問題」が少しずつ明らかになってきたのです。発達障がいに縁がなく、初めて見聞きした人にとっては「図々しい」や「コミュニケーションの取りにくい」といった良くない印象を持つかもしれません。

 

発達障がいの診断を受ける人が年々増えているのも現状で、当事者たちの生きやすい空間がそのうちできるのではないかとも考えられます。「大人の当事者の会」等ありますが、発達障がいに関心が社会に浸透してきているのかなとも感じつつあります。

 

 今回のリンクサイト (深く勉強したい人へ)

理解する ~発達障害って何だろう?~ | 政府広報オンライン 

自閉症スペクトラム(DSM-5の診断基準)

ADHD(注意欠如・多動性障害)のDSM-5の診断基準

発達障害の診断基準とは? DSM-5から見る発達障害 : 診断・特性 - 株式会社Kaien

WISC™-IV知能検査 | 検査詳細 | 心理検査 | 日本文化科学社

アスペルガー症候群を公表している有名人・芸能人一覧。エピソードまとめ | 大人女子のライフマガジンPinky[ピンキー]

実はアスペルガーだった偉人 | 発達障害とは

サヴァン症候群とは?発達障害との診断の違いは?種類や、突出した記憶力といった能力などについて解説します。 | LITALICO仕事ナビ

 

大学という居場所

どうもだっきーです。

 

このページに飛んでくれてありがとう!

 

ここでは...

  • 「大学」がどういう場所なのか
  • 強制でもないのに大学に入る人が一定数いるのはどうしてなのか
 
という問題を着目してみたいと思います。(まとめに考察しています)
 

色んな学生が大学というものに対して過大に評価し、高校から進学してきました。しかし、学問への探求は簡単なものではなく、高校までのように「いい子に座っている」だけでは何も解決しない...というのが大学という場所の特色です。

 

少し前であれば「いい大学にはいれば就職先も安定し上場企業に入社することも夢ではない」といわれてきました。そのため、高校生は必死に詰め込んだ知識をかき集め、いい大学へと進んでいったという過去の話があります。(今でもそう信じている人もいますが...)

 

そのような背景がありながらも、進学してきた大学生たちはどのように感じ大学生活を謳歌しているのでしょうか。それでは、一緒に考えてみましょう!

 

 

大学は居場所か

最初の議題点は、大学は「居場所」なのかということです。

 

学問を探求する場所であって、「居場所」ではないと私は感じています。

 

居場所というのは、抵抗なく居続けられる場所であること居心地の良さを感じる場所であると私は考えているからです。大学も経営難でエンターテインメント化されてしまったところも多いので仕方がないとは思いますが、社会に貢献できるような研究ができるスタート地点でもある場所なのでエンターテインメントにして学生を確保するのは一個人の意見としてはよくないと思っていますけど...

 

私が最近の思うのは「大学の居場所化」です。

 

学生が食堂や図書館に集団で集まり、談笑を楽しむ。

 

それだけだといいのですが、講義中に理解もできないのにスマホに夢中になったり、挙句の果てには隣の人と談笑を始めてしまう始末...

 

そういった学生の話を耳を立てて聞いていると「講義<バイト」という認識が強く、バイトまでの時間つぶしのために大学を居場所化にしてしまうのだとか。

 

大学とはどういう場所か...ということを改めて再確認する必要があるかもしれません。

 

今の学生は、せっかく高い学費を払って「繋がれる友人関係」を望んでいるという現状なのかもしれないですね。

 

 

理想的な大学の構造

理想の大学の構造とは...というと万人に合った回答を出せるわけではありませんが、私の中では2つあります。

 

1つは、「学問を探求する場所」としての大学です。社会貢献のできるスタート地点であり、知識の宝庫である場所だと考えているからです。

 

もう1つは、「学校が苦手な人でも受けられる」大学です。小中高といったクラスという「枠」に閉じ込められることの苦手で学校に行きにくかった人や対人関係がうまくいかなかった人でも、大学という「学問だけに追求」した場所であれば学びも一点とするでしょう。

 

大学の授業は最低限受けなければいけないものはありますが、自分の好き嫌いを選んで履修することができます。好きなものだけを特化して取り組んでもいいですし、満遍なく履修する人もいます。

 

また、講義を受けることは「学問の入り口であって基礎を学んでいるだけ」にすぎません。ニュースとかでも見出しを見て気に入ったものは記事を読むでしょう。それと同じように講義で気になったことは、「自分で調べて、理解を深めていくもんだ」と私は考えています。

 

 

大学生に利用してほしい大学

せっかく高い学費を出して、学業をいそしむために通っているのであれば学費分ぐらいは元を取れるぐらいのことをしなければ損した気分になります。

 

今から挙げるのは一例ですが、どの学校にもできることだと思って書いてあります。ぜひ活用してくださいね。

 

  • 図書館の利用

図書館の本は専門性の高い本がたくさん並んでいて読むのは嫌だな...と思う人もいるかと思いますが、自分で買うよりも無料で借りられるのでこれだけで年間の学費分はトクできるかと思います。

 

  • 食堂

食堂のご飯は、コンビニ弁当より量も多く、安く、栄養バランスもとれているので弁当を作る時間がない方にとってはオススメです。

 

  •  ライティングセンターに活用

大学のレポートや履歴書の添削などを行っている場所で社会人が受けるとなるとそれなりとお金がかかるので無料で身に着けられるのであれば、文章の書き方を身に着けることができるかもしれませんよ!

 

まとめ

さっそく、整理していきたいと思います。

 

「大学」がどういう場所なのか

大学はあくまで研究機関であり、エンターテインメントではない。

 

しかし、経営を維持できない大学が増えてきたため、学生のニーズに合った形へと変化しなければいけなくなった。そのため、学生にとっての居場所になり始めた。

 

大学の質が落ちると、社会的貢献のできる研究者の数も減っていくため、社会の歯車が思った以上に回らなくなってきた。社会への人材としての大学生の質も低下してきた。「国」レベルの問題ではないのだろうか。

 

 

強制でもないのに大学に入る人が一定数いるのはどうしてなのか

何の目的もなく、大学生になる人は一定数います。

 

それは、親世代の人たちが大学から会社に入ることで「いい職」に就けられるという体験をしているからです。終身雇用が崩壊しようとしている今では、大学を出ているだけでは「いい職」に入れるかはわからない。

 

なぜ、大学を出ることで「いい職」に入れるかというと、昔の大学は学問としての大学であったため、今よりも狭き門であり、社会的貢献を満たせる人が「いい職」につけたのである。(もちろん、いい大学に居ればおこぼれで上場企業からオファーがあったりするからでもあるが...)

 

今では、そんなことが起こりにくい。大学が疲弊して客寄せとしてエンターテインメント化してしまったからだ。大学の衰退であると私は考えている。

 

しかし、研究意欲のない大学生がたくさん入ってきたところで、社会的貢献をすることは難しいだろう。学生はそれでもよくわからない期待をし、家庭的財産も沢山ないのに奨学金を借りて大学に進学する。

 

大学が奨学金を渡すのは「貧困でも大学で社会的貢献ができるという期待を込めているから」であって、社会的貢献ができない人にとっては就職後も奨学金を返せず困るのです。制度がなければ「万人が入れる大学」にならないので使う人は気を付けるべきだと思います。

 

大学で何か身につくだろう、高校の延長線だろう、と考えている学生にとっては、大学に搾取されて、得られるものがなく卒業してしまうのかなと考えられます。「就職のとき有利」という時代は最初からなかったのです。

 

総括

大学に入ることは簡単でも出ることが難しい...という言葉をどこかで聞いたことがあります。それは、大学もお金が必要で研究熱心の学生ばかりを選べる時代ではなくなったからです。そのため、卒業するための卒論に苦戦してしまうのです。卒業研究の質を落としてしまうと卒業はできますが、社会の求めている水準に達することなく出てきてしまうため、大学生の価値が企業に見いだせなくなったのです。

 

自分の首を絞めない大学ライフを楽しんでくださいね!

 

Twitterという居場所

どうもだっきーです。

 

ページを見てくれてありがとう!

 

Twitterについて少し考えてみました。

 

具体的には以下の2つことを考えていきたいと思います。

↓   ↓   ↓

 

1.Twitterとはオープンな居場所ですが、見てくれるお客さんがいないとクローズドな居場所に変化します。人々が求めているTwitterでの居場所はどんなところにあるのか。

 

2.情報が右往左往する中で、ブロガーが理想的な居場所とはあるのだろうか。

 

なんでこんなことを...というと私もわかりませんが、Twitterでの居場所に迷走しているためこんなことを書いているのかもしれませんね。落ち込まず、俯瞰して物事を見つめ直すことが今回は「Twitterでの居場所」を考えてみたいと思います。

 

 

 Twitterを活用する人たち

はじめに考えなければいけないことは、どんな目的なのかという大枠を知らないと偏りが生まれるかもしれません。しかし、私が調査したわけでもなく、ここでは主観的ではありますが、Twitterを使用する人たちの一例を挙げてみました。

 

  • 情報を収集することが目的
  • 情報を拡散してもらうことが目的
  • 個人的な知り合いのみとつながることが目的

 

私の経験から「3つの属性」に分かれるのではないかと考えました。

 

情報を収集することが目的な人は、いわゆる「ゲーム情報専用垢」とか「素敵な写真があるとRT」するといった趣味をTwitter内で満たせられる環境にしている人のことです。他にも「流行やトレンドを追うこと」や最近ではテレビよりもツイートで「災害情報」を確認するといったことも含まれます。

 

情報を拡散してもらうことが目的な人は、自分の面白い体験やどこかしらでインプットした知識を呟く人のことです。ブロガーは、情報を拡散してもらうことで自分の書いている記事に触れやすい構図になっているので比較的利用しているのだと考えられます。

 

また、情報を収集することが目的な人とは相性がいいので、提供しやすい環境を整えること(情報の範囲を理解すること)で固定ユーザーからの情報提供者にすることもできます。

 

個人的な知り合いのみとつながることが目的の人は、流れてくる情報も少ないですが、友人がどんなことに興味を持っているのかということを把握することや小規模コミュニティだからこそ話せることを呟いています。

 

複雑に分けるとこれ以外の目的をもって楽しんでいるTwitterの使い方があるかもしれませんね。私ははじめは、Twitterというものがとどういうことをすればいいのか分からず個人的な知り合いとしか繋がりませんでしたが、慣れてくるといろんな人と交流するようになってきました。

 

 

Twitterを居続けてしまうのはなぜか

Twitterをしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。それはなぜなのか、というとみている居心地がいいのだと思います。常に新しい「ツイート」が流れてくるからです。また、ゲームとは違って終わりはないというのも特徴だと思うのです。

 

また、リアルタイムでツイートに対するコメントを返信し、やり取りをとることができるので、普段話すことが苦手であっても、Twitterという世界で情報を交換し、コミュニケーションをとることができるのです。

 

現実から離れてTwitterという居場所でコミュニティに根を張ると、次第に現実での面白さを見いだしにくくなるという問題も発生しますが、私としてはこの居場所があることで社会的な孤立を防ぐことができるので良いものなのではないかと考えています。

 

社会的問題は、ネットが普及されてから増大したという声も聞いたことがありますが、私としては、ネットがあるから社会的問題をネットを通じて声をあげることができるのだろうと思います。ヘルプサインをいち早く出すことができるため、救える確率も増大したのです。

 

Twitterをなかなか辞められなくて困っている」という方も多いと思います。常に情報が飛び交うということはマルチタスクを常時行っているようなものなので辞めにくいのわかります。終わりがないことをする場合は、何かしらの時間の制約を設け、その時間だけ楽しむということがいいかと思います。

 

 

ブロガーにとって居場所なのか

 私が立ち上げているアカウントでは、ブロガーさんがよく集まります。同系統の人は集まりやすいからということもあるのですが、とても仲が良いというのが特徴的なコミュニティになっています。

 

そもそも、ブロガーさんたちは、記事を書くのが一人なので会社のようにどこかを借りて記事を書いているわけではないので、比較的クローズドなコミュニティだと思っていました。しかし、そうではないみたいです。

 

なんでアカウントを作り、仲良くコミュニティを形成しているのかというと、どの人も記事を書いているので伝える力が上手だからです。自分とジャンルが違うブロガーさんであっても「こういう書き方があるのか」「こういう言い回しがあるのか」といった勉強をしやすいからです。

 

居心地がいいかというと、本業が記事を書くことであるはずなのでずっとはいられませんし、通知がたくさん来たらやることがいっぱいいっぱいになるかもしれません。あくまで、自分のペースに合った快適なTwitterの居場所を自分の力量と自制心を天秤にかけて楽しまなけれいけませんね。

 

 

まとめ

今回は「Twitterの居場所」ということを 中心に考えてみました。

 

Twitterは色んな人が「情報を発信し、活用し、受け取る」といったとても複雑なのだと思います。しかし、その複雑な中でコミュニケーションをし、見えない人間関係を構築しているというのも現状です。

 

見えない人間関係は、対面して話すよりも距離が遠くにあるため落ち着けるという人もいるでしょう。気をつけなければいけないのは、匿名性ゆえに情報の信ぴょう性もなく、「すべて鵜呑みしてはいけない」ということを認知したうえで会話を進めていかなければ、知らず知らずのうちにフェイク情報を掴まされているかもしれないからです。

 

自分の信じれる情報を信じたら一番いいのですが、年齢とか関係なく文章力だけのフラットな世界である「Twitter」。みんなが快適に過ごせることを願っています。

 

 

ストレスがない社会では生きられない人間という生物

どうもだっきーです。

 

このページに飛んでくれてありがとう!

 

皆さんは、イライラするな~と思ったことはありますでしょうか?

 

いきなりの質問で戸惑うかもしれませんが、この記事を読むことで「イライラする」という現象について何かしらの手掛かりを得ることができるかもしれません。

 

とはいうのも、タイトルで書いてあるようにストレスがない社会で生きられない生き物が人間であるからです。ストレスの中に「イライラする」という現象が含まれます。

 

でも...ほんとうにそうなのでしょうか......?

 

イライラなんてしたくはないし、喧嘩や悩みなんてなければ世の中が幸せなのでは...と一度や二度考えるものです。確かに、喧嘩や悩みがなくなれば一時的な幸せが起きるかと思いますが、本当の幸せなのでしょうか?

 

というのも、喧嘩や悩みには背後の関係があります。喧嘩であれば、相違の意見の違いやからかいといったことから起こります。悩みは、相手の評価を意識することや想定外の出来事が起きることで出てくるものです。

 

背後の関係を知らずに、「喧嘩は物騒だからやめた方がいい」「悩みなんて相談したら軽くなるよ」なんて言えたものではありませんね。しかし、これでは問題解決ではなく、都合のいい言い訳を考えているみたいです。私が伝えたいことではないし、伝えるべき内容でもないなと、思います。

 

とても簡単に言うと、喧嘩や悩みが出てくるのは比較対象者がいるからです。幸せは誰もがつかみたいですが、幸せに感じれる枠というものがとても小さいので全員が入れるものではありません。それぞれが感じる幸せは、何かしらのモデルとなるものがあってもそこに入れる定員数には限度があるため、その部分では幸せを妥協しているのです。

 

たとえば、衣食住が用意できる生活を送ることが幸せだという人と高級マンションでリッチな生活を送ることが幸せだという人がいるとしましょう。前者の人は、生活水準さえ満たせれば幸せだと感じ、さらに言えば、少し豪華な食事が食べられた日にはとても幸せな人生を歩んでいると感じるでしょう。後者の人は、前者の人とは条件が異なりリッチな生活を満喫できなければ幸せだと感じられないようなので、幸せを維持するためにはお金持ちではなければいけないかもしれません。

 

別の考え方をとると、リスクとリターンで説明がつくかもしれません。リスクはストレスの度合いで、リターンが幸福感だとします。ローリスク‐ローリターンな生活は「イライラすることも少ないかもしれませんが、幸福感もさほど変わりありません。」

 

この考えでいくと、ローリスク‐ハイリターンの生活ができる状態ってないんじゃないの...と思われるかもしれませんが、「衣食住の最低基準で生活できる人たちの豪華な食事がとれた時」がその条件に当てはまるかと思います。逆のハイリスク‐ローリターンは「リッチな部屋は確保できたけど、仕事の量が多く議て満足できない状態」が当てはまりそうですね。

 

2つの例をあげましたが、幸せとは「理想にあるのではなく、現実の中での充実体験」ではないかと感じています。ストレスは幸せと表裏一体で、「理想上で幸せではない部分がイライラする」のではないでしょうか。

 

では、違うページで会いましょう

学生ブロガーが多いのはなぜなのかについての考察

どうも、だっきーです

 

副業がブームのように増えてきているのはなぜだろう...と考えたことはありますか?

 

例えば、このブログを書くのも副業の一環としておこなっている人もいれば、趣味で描く人もいますよね。この差は何なのでしょう。また、最近では「中高生ブロガー」なる人も現れ、学業を傍らでブログを書いて収入を得ているとか...。

 

文章を書くことが仕事である「作家やライター」という高い壁が感じていましたが、ブロガーというものが2000年近くから少しずつ、増えてきました。また、ブロガーというのは自分自身のエッセイ(自伝)であったり、日記のような体験談を綴り、多くの人に共感を呼ぶような文章を書きます(中には根拠のないものや信用できる内容かはわかりませんが...)。

 

要するに、自伝や体験談というのはある程度の人生経験を積むことで書けるようになります。幼少期につらい体験を受け、そのようなことを次世代に起こらないようにしたいという注意喚起やこんなところに行ったよという報告などがブログ等に見られることが多いです。他にも挙げるとしたら、趣味を共有したい(このルアーでこんな魚が○○という場所で釣れたよ)という気持ちが新たに趣味を始める人の支えになるでしょう。

 

こういう内容を書くことには何も問題はなく、私自身もこうして書いているので問題ないかと思います。しかし、「学生ブロガー」と称し、学業と両立してまでブログを執筆しなければいけない根本の理由には辿りついていないと思うのです。。。むしろ、私たちはそういったことに目を背けているのかもしれませんね。

 

今回は、「学生ブロガー」をしているのはなぜか、何を動機として学生ブロガーをしているのかという問題点を探ろうと思います。これを書いていても解決できる手立てなるかわかりませんが....

 

さっそく、見てみよう!

 

 

学生ブロガーの定義とブログ開始の動機って?

学生ブロガーは、「中学、高校、大学」と教育機関に通いながらもブログを通じて収入を得ている人とする。趣味や日記のようにブログをしていて金銭を得ていない人は今回の定義付けから除かせていただく。

 

学生ブロガーは、近年多く見られる肩書きのようなものだが、何かしらの魅力であったり、個性を活かしたいという気持ちがあるのだろう。

 

動機は以下の7つから至ったのではないかと考えられる。

 

1.生活費を稼ぐため

家庭の環境によっては「学生ブロガーとなって働きなさい」と言われて始めた人もいるのではないだろうか。アルバイトだと中高生は学校の規則で認められていないためできないが、ブロガーのような副業か趣味の微妙なラインだと収入を得ていると学校に言わない限りは見つからずにできるのである。(収入を親の口座名義にするとそういった事も可能になる?)

 

 

2.自分の人生設計を立てるための費用

少し前の話であれば、終身雇用かつ年功序列の制度があったので、就職すればある程度の金銭面は保証されていた。しかし、現在の日本はどうだろうか。

 

就職してもリストラされるかもしれないしてもリスクがあり、さらに就活までに必要な能力がより多く求められるようになった。学生も周知のことだろう。

 

そのため、将来安定した職業に付けなくても最低限食いつなげる費用を学生のうちから稼ごうとしているのである。

 

 

3.奨学金の返済

学校に通うためにも費用がかかるが、授業料を払えない人でも奨学金を受け取り、学校に通う学生もいるだろう。

 

就職後も学校にお金を返しながら生活するのは将来的に不安がつくものである。2.で話したように就職が不安定なものだからである。そのため、学業と両立してバイトやブロガーといった副業をして、少しでも早く返せるように準備しているのである。

 

 

4.若いうちの経験として始める

中高生のアルバイトは実際のところ少ない。できないわけではないが、賃金が成人と比べて少し安かったり、夜遅くまでは働くことができないという問題がある。また、お小遣いで買えないような高いものも欲しくなる時期ではあるので始めたというケースもあるだろう。

 

スマホやパソコンといった用意に必要なものはあるが、現代は、中高生でもスマホを持たされているので、それを使ってブログを書いているのである。また、お金がもらえるようになると自己肯定感が上がりやすくなるのだろう。

 

 

5.自伝が価値あるものだ思った

自分のつらい体験や珍しい出来事を多く経験し、それを誰かに見て欲しいから始めたということも考えられる。TwitterなどのSNSツールを使い、広く薄い友人を作ることが可能になった。

 

全く同じ経験ではなくとも、似たような経験やこういうことで悩んでるという人を救いたいという気持ち一心でブログを書き続ける人もいるのではないだろうか。

 

 

6.趣味から天職だと感じる

初めは、趣味程度でやっていたが、ある時、多くの人から見られるようになって「自分の書いた文章が読まれるものなんだ」と気づく。そこから、ブロガーとしての文才に発展し、文章を書いて人に見られることを幸せだと感じていくのである。

 

7.友人から誘われる

学校の友人がブロガーで、ある時「ブロガーって簡単に始められるんだよ」と声をかけられる。最初は疑いつつも文章を書いて投稿すると読んでくれる人が増えてきたというパターンである。

 

このケースは、次第にマルチやネズミ講に引っかかる可能性もあるかもしれないので注意が必要である。(判断は自己責任だからね)

 

もちろん、これ以外の動機からブログというものを知り、ブロガーになる人もいるかもしれないが私自身思い浮かばなかったので思い浮かび次第、追加していこうと思う。

 

 

学生の悩みを解決するためにするならわかるけど....

学生ブロガーになる動機は、色々あり、私が想像できないような動機も数多くあるのだろう。しかし、学生ブロガーがいないと困ることもある。それは、学校事情であったり、学生の流行といったものである。

 

また、学生ならではの悩みというものも発信することで、見てくれている大人が助けられる対策を考えてくれるかもしれない。というのも、学生というのは社会に出ていないのでとても不安定で、自分というパーソナリティーをしっかりと判断しにくいからだ。

 

学校事情や流行、悩みというものがわかると、学生をターゲットにしている仕事の人は目を通し、その人自身もブロガーであれば、ベストアンサーをブログにて書いて教えてあげることもできるだろう。私たちが伝えられるのは過去の学生の経験であり、現在の学生とは異なるのでは...という方のいるだろうが、ネット上の悩みを打ち上げベストアンサーができるのは年齢関係なく、もしかしたらこれを読んでいるあなたかもしれない

 

 

考えられる学生の問題点

学生は「なぜ」ブロガーという肩書きを持ち、金銭を必要としているのでしょうか。

 

学生の理想としている暮らしと現実の暮らしに対し不満を持つことが考えられます。衣食住だけではなく、あれも欲しい、これも欲しい、だけどお金がないから買うことすらできないという現実があります。これは社会人でも同じです。しかし、学生は時間が膨大にあり、理想にふける時間がとても多いかもしれません。(現実が叶わないから)

 

そのため、将来的な安心を求めるため現在の理想に近づけるために学業の時間を割きながらも金銭を稼ぐために執筆しています。それが一番の近道なのですから。

 

奨学金や将来の不安性などが、将来自分の首を絞めるのではないかということを考えて「学生ブロガー」が誕生したのかもしれませんね。

 

おわりに

ブログを執筆する時間を学業に費やすことができるのであれば、それに越したことはありませんが、動機の「1.生活費を稼ぐため」に始めた人は生活水準すらブロガーという副業にかかっているのではないでしょうか。

 

入り口が大きく、そして入りやすい副業の1つがブロガーです。しかし、明日を生きるために執筆をつづけるというのは、とても険しく背水の陣のような気がしますね。

 

次回もお楽しみに~

 

 

大学生が部活に入りたくなる理由

4月になり、入学式を迎える方が多いかと思われます。おめでとうございます。

 

大学というと高校と比べて「違うなぁ」と思われる方もいるかと思います。

 

根拠もなく、違うと思うことは…

 

  1. 高校と比べて取れる授業の幅が広くなったため、自分で選ばなければいけない
  2. 登校する時間も授業次第で選べるため、睡眠リズムが崩れやすい
  3. 高校のようにクラスというものがほとんど無いに等しいため、その場その場の環境で友だちを作らなければ交流する機会がなくなる

 

他にもあるかもしれませんが、上のような理由で困ってる方が部活動やサークルに入るのではないかと思いました。

 

要するに大学生の交流を深められる場を提供しているが、必要なのかということを今回考えていきたいと思います。

 

では、見てみよう!

 

 

大学で友人が必要なんだろうか?

 私自身も大学に入ったころは、高校の友人が一人も同じ大学に入らなかったので一人でいる時間が多く少し不安に感じることがありました。

 

一人で授業を受けることで学業に集中するのも大切かもしれませんが、受けといたほうがいい授業がどれかというのもわからない状態だったので情報を共有できる友人が欲しかったというのもあります。

 

隣の席の人に声をかけて友だちになる...というアニメみたいなシチュエーションがあればいのですが、あいにく私は社交的な人間でないので難しい現実です。そうなると、何かしら話しやすい環境があると友だちを作りやすくなると思いました。

 

大学にある環境というと学校によって変わってしまうかもしれませんが、大体の大学にあるのは部活動やサークルといった集団でいれる場所です。

 

部活やサークルだと所属に興味があり、自然と友だち付き合いをしやすくなり、交友の輪が広がりやすくなります。何も考えずに部活やサークルに所属すると居心地の悪さもありデメリットになるかもしれません。

 

 

サークル集団に関する論文紹介

サークルに関する論文というもの2014年の青年心理学研究にて高田治樹さんが発表されました。

 

大学生サークル集団への態度の探索的検討というものです。

 

サークル集団というものを以下のようにまとめております。

新井・松井(2003)にならい、”クラブ” ”部活” ”サークル” ”同好会” などを区別せず ”サークル集団” という語を用いる 

 

論文の目的は、3つに注目してサークル集団への態度がどんなものか示しています。

  1. サークル集団の態度を幅広く見るために、否定的な態度にも注目すること
  2. 大学生がとるサークル集団への態度の分類わけすること
  3. サークル集団の態度と集団の性質が関係するのかを調べること

 

大切なのは3番目のサークル集団の態度(肯定的もしくは否定的)が所属しているサークルの特性(文化系と体育会系なのかとか、個人競技と集団競技なのかとか、部活とサークルで違うのかといったもの)とどういう関係があるかというものです。

 

私は、書道部に所属していたのですが、部活内の雰囲気がよくなく、居場所がなくなってしまい辞めたという記憶が今でも残っています。あの時、我慢していれば続けられたのかな~とも思うときもありますが、この論文が何かしらの手掛かりになるかもしれませんね。

 

調査は、2つの大学でおこない、268名の回答を統計したものが結果として出てきました。対象は1年生と2年生を中心としておこなったということが大切なところです。

 

高田さんは、サークル集団態度尺度というものを作りました。サークルについて肯定的であるよという内容のものが42項目と否定的な考えを持っているよというものが42項目の計84項目からできています。

 

分析の結果、肯定的態度と否定的態度の両方に3つの因子という質問項目に関係あるグループがあることがわかりました。肯定的態度は「集団への親近」「集団への責務」「集団への妥協」ということが関係あるとわかり、否定的態度は「集団からの離脱」「集団での日和見」「集団での萎縮」というものが関係するとのことです。

 

因子項目の説明

  • 集団への親近:集団への関心や居心地が良いと感じる
  • 集団への責務:所属しているのだからしなければいけないという責任感
  • 集団への妥協:自分が嫌なことがあっても我慢できる
  • 集団からの離脱:不安やその場から立ち去ろうとする
  • 集団での日和見:自分の意見を言わず受動的に構える
  • 集団での萎縮:集団からの目を気にしている

 

ここからわかるのはサークル集団に残りやすい特徴を表しているということである。

 

「集団への親近」や「集団への責務」に当てはまる人は、サークル集団を継続していく学生に取りやすい態度であるが、「集団からの離脱」や「集団での日和見」といった態度はサークル集団を対談している学生に見られるということです。

 

「集団への妥協」や「集団での萎縮」というのは肯定性と否定性の低い態度であるが、サークル集団で楽しく活動するためには、自分を押しとどめているということも関係することが明らかにされたことです。

 

ある意味、会社の構造やTwitter交流にも通ずるものがあるのかなとも思います。「妥協や萎縮」というのは日本人であるからこそ、その場のノリや雰囲気を壊したくないという社会性が発揮され、本来したかったことをあきらめてしまうのかもしれませんね。

 

 

部活だけが居場所ではない

2014年の研究では、回答者の中に辞めてしまった人が33名(12.3%)、参加してこなかった人が37名(13.8%)、所属している人が189名(70.5%)となっており、所属していても「妥協や萎縮」が起こることもあるそうです。

 

また、大学というのは学問の分野だけではなく、友人との付き合い方という面でもとても自由性の高いものであると考えられます。昔の友人に会いに行くこともできますし、ボランティアやバイトをしていればそこから生まれる友人関係というものもあります。

 

今では、オフラインの世界(現実世界)だけではなく、オンラインの世界(仮想世界)においても繋がりを広げることができるようになっています。しかし、この記事を読んでいる人は、学校内の情報を共有できる友人を作りたいという人が多いかと思います。

 

良し悪しはありますが、部活やサークルを体験してみる(体験先で私は友人を作った思い出があります)というのも一つの手かもしれません。友達が何が好き(得意)でどんなことをしていた人なのか、ということを会ったばかりだと何も知らないのですから...

 

他に、部活に入りたくないけど、友人が欲しいという場合は、ピアサポートという環境があれば、そこから繋がる輪が生まれるかもしれませんよ!

 

 

さいごに

部活やサークルは、ある意味「友達づくりの手段」の1つであると私自身は思っています。かといって論文のように「妥協と萎縮」だけで3年間過ごしてしまうと少し肩身が狭い思いがするかもしれません。

 

入学したばかりだといろんな勧誘があって、情報にのまれてしまうかもしれませんが自分が描きたい方向さえ押せえとけば充実できるのが大学であると思います。

 

では、楽しい大学ライフをお過ごしくださいね!